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2 「備中国新見圧ロマンの里づくり」事業
そうしたなかで考え出されたのが、当市域の歴史や文化を生かした「備中国新見庄ロマンの里づくり」事業である。
当市域から新郷町にかけて、中世には東寺領の庄園、新見庄が広がっていた。圃場整備が行われていない関係もあって、現在でも中世の雰囲気を色濃く残している。平成5年には歴史研究者でもある皇太子の来訪をみた。当庁を有名にしたのは、室町時代の寛正4年(1463)8月、東寺から下向した寺家代官祐清が庄内を巡検中、字谷内で地頭方の名主に殺害された際、祐清に仕えた「たまがき」なる女性(領家方庄官福本盛吉の姉妹)が、祐清の遺品を整理し、
「一、しろいこそで(白小袖)一
一、つむぎのおもて(紬表)一
一、ぬのこ(布子)一
これ三の事ハ、ゆうせいのかたミ(形身)にもみせられ侯ハゝ、いかほど御うれしく候」
と認めた東寺公文所あての書状(現在、京都府総合資料館蔵)を残していることにある。庄園文書のなかに女性が登場するのも珍しいが、その内容に心惹かれるものがあるところから、この書状にちなんで新見市では平成3年以来、その名も「新見庄ロマンの里」づくりを標榜する各種事業を展開、地域の活性化に当って来た。すなわちこの年、地元のボーイスカウトが徒歩と自転車で京都の東寺まで赴き、寺務長から返書と記念品をもらって帰った。こうして民間の取組みからはじまり、行政がこれを生かすという当市の地域おこしの展開パターンが生まれた。その運動の中

たまがきの仕えた東寺代官祐清はこの近くで殺害された
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